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制度や組織をいじっても、それだけで役所はよくならない

 

こんにちは。

人と組織の強みを活かす、ストレングスコーチの丸本昭です。

 

こちらのブログでは、自治体や福祉施設等の公的機関のマネジメント、人材育成について書いています。

コーチングやストレングスファインダー®については、

アメブロの「強みの上に自らを築く」に書いていますので、ぜひそちらもご覧ください。

 

 

さて、今日は私の失敗談です。

今から17年前、私は地元の市役所で行政改革の担当でした。

 

より良いものを目指す、常に改革改善を進めたいストレングスファインダー®の「最上志向」の資質を持つ私にとってはご馳走のような仕事です。

楽しかったし、自分の力を一番発揮した仕事だと思います。

プロジェクトチームを作り、いろんな人を巻き込みながら「行政改革大綱」とその実施計画を作りました。

 

その頃はまだ数少なかった窓口時間の午後7時までの時間延長、

今でこそ普通に見るけど当時は珍しかった職員による窓口案内、

庁議をはじめ乱立していた内部委員会を「行政経営会議」にまとめ、役所の組織名に初めて「経営」という名称を入れ、

若手係長を政策立案の中心に置く「政策審議会」を作り、

その後人事に移ってからは、人材育成基本方針策定、人材育成型人事評価制度構築、自己申告制度導入とそれまでの制度を作り替え、

機構改革で組織をいじることもやらせてもらいました。

 

私同様、より良いものに変えていきたいという「最上志向」資質の職員には、多いに賛同してもらえたと思います。

確かに最初の頃は「流れが来てるなあ」という実感があった。

しかしいろんな制度を変えていくにつれ、それに抵抗感を感じる職員が増えてきました。

 

別に「抵抗勢力」などと批判しているわけではありません。

むしろ物理学のような自然な反動。

今考えると、組織として無意識にバランスを取ろうとしていたのかもしれません。

 

役所には多種多様な人がいて、それぞれが大切にしている価値観があります。

私にとって変える必要のある「課題」は、他の人にとって必要なものであったり、

無理をしてまで変える意味はないと思っているものであったり、

変える必要はあると思うけど、そこまでしたくないものだったのかもしれない。

 

当時の私はそれが理解できなかったので、反対する人を「抵抗勢力」と見ていました。

議論で論破したり、

時には力業で押し切ったり。

「正しいか、正しくないか」の二元論的思考だったのだと思います。

 

進めて行くうちに改革疲れが広がり、反発を受けることも増えていきます。

「丸本さんって怖いですよね」

と言われ出したのもこの頃かもしれません。

 

その後、市長が対抗馬の市長に代わり、

年度途中で総務部長、部次長、総務課長、人事係長(当時の私)まで総入れ替えになる人事異動がおこなわれました。

異動はないだろうと言われた係長職の私まで異動になったのは、

「こいつにやらせたらどこに連れて行かれるかわからん」

という不安と反感を持つ人がいたことも一因かと思っています。

 

 

当時は落ち込みましたが、今思うと、そこから離れて自分を振り返る機会をもらったのだと思います。

 

当時の私は、制度を変えたらそれに合わせて人も動くと思っていました。

浅はかですが。

しかし人間というものは、残念ながら元の状態に戻ろうとする性質があります。

制度や組織を変えても、これまでと同じように行動しようとする。

 

縦割りを無くそうと組織横断型の部署を作っても、その部署は趣旨に応えて頑張るのだけど、

他の部署はそこの仕事だろうと考え、これまでどおり縦割りで仕事をする。

まとめたはずの庁内組織は、その後次々と新しい個別の組織が作られる。

当たり前のことですが、考え方が変わらないので入れ物を変えても行動は変わりません。

 

システムには「ハードウエア」と「ソフトウエア」があります。

ハードウエアが次々と新型になっても、ソフトウエアが変わらなければ機能しません。

むしろ動きが悪くなったり、エラーを生じたりします。

 

組織を変えようと思ったら、この「ハードウエア」と「ソフトウエア」の両方を変える必要がある。

そのソフトウエアを変える手段は、

組織内の「対話」であり、

深い「コミュニケーション」です。

 

人の多様性を前提に、

お互いの違いをテーブルの上に並べ、

その違いからどう進めていくかを合意形成する。

 

面倒くさいけど、その面倒なプロセスが人の「意識」という「ソフトウエア」を変えられる。

「ハードウエア」を変える設計とプロセスの中で、「ソフトウエア」を変えるプロセスも組み込んでこそ組織は変わるのだと思います。

 

もしあの時の人事異動がなければ、私は随分といけ好かない人間になっていたでしょう。

そしてそのおかげで、

コーチとして仕事をし、

組織に関わるということを仕事にしています。

 

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